2009年10月26日

鬼瓦

鬼瓦

町立病院に付いて行ったら、横の家の鬼瓦が目についた。
角が伸びたような格好で珍しい。
この家は確か名家だったと聞いたような気がするので、瓦も特別なものを使ってあるのだろう。


帰ってから我が家の鬼瓦を見てみた。

鬼瓦



これは、ずっと以前に住んでいた家のもの。
今は小屋の屋根となっている。
やはり名家のものとは違う。


鬼瓦

そしてこれが現在の我が家の鬼瓦。
家紋とかは特に関係がなさそうだ。


鬼瓦は、もともと鬼の面の形をしていたそうだ。
そういえば我が家にはある人から譲り受けた鬼の面が飾ってあった。

鬼瓦

趣味にしては立派な腕である。

タグ :鬼瓦鬼の面

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Posted by kinkin3 at 20:21│Comments(4)風景
この記事へのコメント
鬼の面というか、多分この3枚目の写真は面浮立の面ですよ!
実際に伝承芸能として浮立で使われている面には黒の塗装が施されていてとても迫力があります。
戦国時代だったかな? shinさんに聞いたのですが、いまで言う“特殊部隊”的な役割を果たしていた部隊の象徴だったらしいですよ!!
詳しい事はshinさんに聞いて下さい。スゴく興味深くておもしろかったですよ!!
・・・歴史は深い!!
Posted by 監督M松 at 2009年10月27日 01:11
すいません! 3枚目ではなく4枚目でした。
Posted by 監督M松 at 2009年10月27日 01:12
 奇襲部隊は佐賀の戦国大名,龍造寺隆信の家臣だった鍋島家が有していたと言われています。西暦1570年3月,大分県(豊後)の大名,大友宗麟の6万(8万という説もあるようです。)の大軍が,佐賀の龍造寺隆信を攻めてました。龍造寺軍はわずか5000。大友軍は,佐賀平野になだれ込み,佐嘉城を攻めますが,なかなか城を落とすことができませんでした。そこで,大友宗麟は,弟の親貞に3000の兵を与え,今山に本陣を構えさせ,8月20日に総攻撃をかけるよう命じました。一方,鍋島直茂は,事前にその事を知り,8月19日の深夜,わずかばかり(2000人と言われています)の奇襲部隊を率いて,嘉瀬川を渡り,敵本陣の裏手の山を登り,静かに朝になるのを待ちました。午前6時,鉄砲の音を合図に,赤熊の鬼の面をつけた奇襲部隊は,鐘や太鼓の音高らかに,敵本陣に不意打ちをかけました。ねぼけまなこで右往左往する大友軍はたちまち総崩れとなり,ついに鍋島軍は勝ちました。九州の桶狭間と言われる今山の合戦です。龍造寺軍はこの奇跡の大勝利を祝い,鬼の面をつけて踊ったそうです。これが今に伝わる面浮立ということのようです。若干違うところもあるかも知れませんが,悪しからず。個人的には桶狭間というよりは第4回川中島の戦いに似ているように思いますが…以上長々とすみません。m(_ _)m
Posted by Shin at 2009年10月27日 17:59
>監督M松さん
>Shinさん
鬼の面についての書き込みありがとうございます。
奇襲部隊の話を読んで、小学校の運動会で踊っている面浮立を思い出しました。あの歌詞には奇襲部隊のことが書いてあるようですね。

鹿島市近辺に伝わる浮立も、奇襲部隊の活躍がもとになって始まったのかもしれませんね。私も伝承者の一人として来年も秋祭りに参加したいと思います。
Posted by kinkin3 at 2009年10月28日 06:20
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